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「あの夏の邂逅」



姑蘇の夏は暑い。

山深い場所にある雲深不知処には清流が流れ、麓の町よりは涼しく感じるものの、梅雨が明けたばかりの今は湿った風も吹き、いくばくかの蒸し暑さを感じずにはいられなかった。
雲夢の酷暑に慣れた身でも、まだ始まったばかりの暑さにはなかなか慣れるものではない。

魏無羨が遊歴から戻って、初めての夏を本格的に迎える。


あの山頂での別れから六月(むつき)。
冬を越え、寒さが過ぎ去り、春風が吹き、青々とした緑が生い茂るようになった頃にはもう、魏無羨は藍忘機に会いたくなっていた。
また会おうと言ったものの、今や仙門世家をまとめ上げる仙督ともなった藍忘機に気軽に会えるとは思ってもいなかった。

仙督という重荷を自ら背負ったのは藍家の為か、それとも先の事件で心を痛めた兄の為か。
いずれにしても、あの時、藍忘機が選んだのは魏無羨ではなかった。
共に行くことも、自分を引き留めることもしなかったのがその答えだと思っていた。

あの日の誓いを全うする為。
たとえ袂を分かっても生涯の知己であることに変わりはない。
藍忘機は一時の衝動のままに行動する男でもなければ、魏無羨のように自由の身でもない。
そう理解していても、藍忘機の選択はどうしてか魏無羨の心を深く抉った。

そんな身でありながら、たった半年ばかりですぐにこの地に足を踏み入れることに迷いも躊躇いも無かったわけではない。
厚顔を自称していながらも、どうやらまだ自分にも羞恥心というものは残っていたらしい。

それでも。
ただひと目会えれば。
そう思って雲深不知処を訪れたあの日、思いもかけず魏無羨を迎えてくれたのは藍忘機だったのだ。

近くを通ったから。
天子笑が飲みたくなったから。
我儘なリンゴちゃんが姑蘇の草以外を食べたがらないから。

取ってつけたようなそんな言い訳を並べてすぐに去ろうとした魏無羨を、けれど藍忘機は許さなかった。
大梵山で再会したあの日のように、しっかりと掴まれたあの手の強さを今も忘れられない。


『此処にいればよい』

藍忘機にそう言われ、静室で居を共にするようになって早や二月(ふたつき)。
暫くは魏無羨もそれなりに大人しくしていたのだが、結局生来の悪戯好きな性格は変わらないものだ。

前日までの戻り梅雨が上がったその日。
いつものように巳の刻に漸く起き出した魏無羨は、晴れ渡った青空を眺めながらも何処かに出掛ける気も起きず、珍しく静室に留まっていた。
ほどなくしてその日の執務を早々に終えた藍忘機が戻ったのを機に、このまま此処で過ごすのも悪くないと思う。

口数の少ない藍忘機とでは他愛も無い会話を楽しむことも出来ないが、まだ話しきれていない遊歴中の出来事や、子弟たちの夜狩に同行したこと、町に下りた時の出来事などを魏無羨が一人でつらつらと思いついたままに話し、藍忘機がそれに二言三言返してくれるだけで十分楽しかった。

遊歴中はロバしか話し相手がいなかったのだからそれも無理からぬことだ。
そもそも出会った頃から藍忘機の口数の少なさなど大して気にはしておらず、魏無羨にとっては些末なことだった。
無口で無表情の藍忘機の僅かな反応を見るだけで良かったし、そうさせるにはどうすれば良いのかを飽きもせず考えるだけで毎日が楽しかった。

あの頃よりも機微が表れるようになった顔はいくらかは分かりやすくなったものの、口数の少なさは今も変わらない。
たとえ魏無羨が一炷香喋り続けたとしても、藍忘機から返ってくる言葉は両手で数えられるほども無いに違いない。
けれどその数少ない言葉が時には思いもよらないようなものでもあり、藍忘機と話すことに魏無羨が飽くことはなかった。


そんな藍忘機と穏やかな時間を過ごしながらも、何もしないままゆるゆるとした時が一時辰もすると魏無羨は次第に退屈になってきた。
夕餉の酉の刻にはまだ時間がある。

そうして思いついたのが虫干しだった。
昨日までの長雨で心なしか室内が湿っているように感じるのは気のせいではない筈だ。

魏無羨の突然の思いつきに、藍忘機はと言えば特に異論も唱えず、かたちばかりの許しを得ながら魏無羨があれもこれもと静室中を引っかき回し、ぞんざいに広げる書物を整然と並べ直しながら後に付いて回っていた。

虫干しと称して何か面白いものはないだろうかと魏無羨が書架や行李を漁っていた時、それは見つかった。

牀榻の布帛の帳の裏に隠れるように配置された紫檀の書架の一番下。
目に留まり難い場所にひっそりと置かれたそれは、艷やかな飴色をした品の良い渋張行李だ。
他のどれとも違い、とても丁寧に扱われながらも幾度となく開かれたであろうそれは、繰り返し手が触れる場所だけが濃い暗褐色に染まっている。

「この行李も書物か?」

そう聞きながらも返事を待つことなく手は既に蓋を開けていた。
魏無羨の声にゆるやかに振り返った藍忘機が、はっとしたように僅かに目を見開く。

「魏嬰……っ」 

珍しく狼狽を滲ませた声に思わず手が止まった。
幾度か瞬きをして見つめるものの、藍忘機の視線はうろうろと魏無羨の手元の行李と床とを彷徨い、一向に交わる気配がない。

こんなにも動揺を露わにした藍忘機を見るのは初めてだ。
否、一度だけある。
櫟陽の宿屋で酒に酔った藍忘機が数々の奇行を繰り返し、一夜明けた時のあの顔だ。

今や仙督となり、常日頃から泰然とした姿勢を崩さない男が不意に見せた顔に、むくむくと悪戯心が湧き上がる。
言外に中を見るなと訴えかけているその顔に気づかないふりをして、魏無羨は床に座り込むと嬉々として行李の中身を広げていった。

「何だ何だ藍湛、そんなに慌てるなんて何を隠している?」

まさか春画でも隠しているのかとにわかに楽しい気分になり、中を漁る手が自然と急いたものになっていく。
だがしかし、そんな期待に反して、行李の中に丁寧に納められていたものは僅かに黄ばんだ古びた書ばかりだった。
それも書かれているのは何の面白みもない、藍氏の家規ではないか。

「何でこんなものがわざわざ仕舞われているんだ?」

一枚一枚取り出して広げて見るものの、何枚繰り返しても全く同じものしか表れない。
藍氏礼則から始まるそれは、座学時代に懲罰として課され、幾度となく書き写したことのある魏無羨には最早馴染みの文節だった。
今でも諳んじることが出来るほどだがそれは決して人に自慢出来るような理由ではない。
だがそんなことをまるで他人事のように思っている魏無羨は、自分以上にこの家規を一言一句すっかり暗記しているだろう藍忘機がこの書を大事に保管していることを不思議に思うだけだった。

最後まで同じものしか無いのかと、重ねられた書を広げることにいよいよ魏無羨が飽きてきた頃、不意にそれは現れた。

行李の底に近い場所から出てきたのは、一枚の絵だった。
墨一色で描かれたそれは、見目麗しい男の凛とした座姿を描いたものだ。
若竹のように真っ直ぐに伸びた背中と、清流の如く真っ直ぐに流れる髪が見事にその男の人となりを表している。
しかし手にした易経とは似つかわしくない、まるで簪のように髪に添えられた一輪の花が、その絵を何処か不思議なものに変えていた。

それは、座学時代に魏無羨が藍忘機を描いたものだった。

「藍湛、お前……あんなに怒っていたのに大事に取っていたのか!」

思わず上げた声に、端坐していた藍忘機の肩が僅かに揺れる。
目を向けると、玉のような白皙の美貌は常と変わらずとも、こんなところまで美しいのかと思う形の良い耳が陽光に照らされて薄っすらと淡紅色に染まっていた。
逸らされた視線は魏無羨を決して見ようとはせず、穴が開くのではないかというほどに床板の一点を見つめるばかりだ。
色を失うほどにきゅっと閉じた唇が何処か幼く見える。

腹を抱えて笑いたいほど愉快だと感じたのはほんの一瞬で、すぐに魏無羨は、今にも笑い出しそうなほどに大きく開けた口を閉じていた。

ほこほこと腹の内から温かくなるような何かが込み上げてくる。
それは紛れもなく喜びだ。
自分が描いた絵を、藍忘機が捨てずに持っていたことが堪らなく嬉しい。

そうして同時にまだ子供だったあの頃を思い出し、いつも不貞腐れたように真一文字に口を引き結び、無表情を貫いていた藍忘機への愛しさが込み上げてきた。

揶揄かうことも出来ず、しかし礼を言うのもおかしいような気がして、

「何で取っていたんだ?」

素直に浮かんだ疑問を魏無羨は口にした。

「確かにこれは俺の渾身の作だ。自分でも満足いくほどに上手く描けたと思っている。でもお前はあの時くだらないと言ってたし、その後すぐに俺が仕込んだ春画にお前は怒髪天を衝くほど怒って破り捨てただろ?てっきり同じように破ったかすぐに捨てられたと思っていたんだ。何でだ?」

純粋に知りたいと思った魏無羨の気持ちが伝わったのだろうか。
居ずまいを正し、漸く視線を合わせた藍忘機がひと呼吸置いてその理由を告げた。

「お前は絵の才がある」

捨てるには惜しい、と。

六芸に秀で、画才もあると自負していた魏無羨だが、藍忘機に真顔でそんなことを言われて嬉しくないわけがない。
だがしかし、思わず破顔する魏無羨に、

「花は余計だ」

藍忘機は続けてそう言い放った。
思わず手の中の絵に視線を落とし、指摘された花を見やる。

花弁を大きく開いた桔梗は藍氏の藍(あい)から思い浮かべたのだろう。
八重の芍薬などであれば藍忘機にはあまり似つかわしくないとも言えるが、品のある桔梗は我ながら的を得ていると思う。
だが藍忘機の美しさに確かに華美なものは余計だ。
藍忘機を花に喩えるならば百合の花だろうか。
否、それも華やか過ぎるかもしれない。
凛として涼やかで、慎ましい花が藍忘機には似合う。

あの時、自分は何を思ってこの花を描き足したのだろうか。
今となっては思い出すことも出来ないが、きっとこの桔梗のように心を開いて欲しいと願っていたのかもしれない。

それにしても、と魏無羨は思う。

『こんなことを言えるようになるなんて、藍湛も変わったな』

褒めておきながら蛇足だとばかりに批評するのは、魏無羨がこの絵を見つけたことへのささやかな仕返しなのだろう。
昔の藍忘機ならこんな気の利いたことなど一つも言えなかったに違いない。

目尻が下がり、自然と口角が上がる。
嬉しくて仕方のない魏無羨は、どうやっても笑みを隠すことが出来なかった。


ふと、その絵が埋もれていた書に目がいった。
家規を筆写したそれは、よくよく見ると書家と思えるほど綺麗な字を書く藍忘機のものではない。
隙間なく並ぶ文字は十分整っているのだが、ところどころに気の抜けたように崩れたものがあるのだ。
見慣れたものとは異なるが、どうしてか見慣れたもののようにも思える。

暫くの間それを眺めた後、魏無羨は唐突にそれに気付いた。

「……俺が書いたものか?」

にわかに信じられず、それでも聞かずにはいられずそう問いかけると、藍忘機は微かに聞こえるほどの小さな声で「うん」と首肯した。

「藍湛……」

改めて床の上に広げた紙を見れば、何枚かは一度乱暴に丸められたような跡があり、後にそれが丁寧に伸ばされたのだと見て取れた。
長い時間重ねられていたことで皺や折り目はすっかり伸ばされ、一見しただけではそうであったことは分からない。

手にしたそれを言葉もなくぼんやりと見つめていると、不意に藍忘機が言った。

「叔父上に見せることが出来なかったものだ」

そうして藍忘機の長い指がおもむろに差した先には、整然と並んだ文字に紛れるようにして、一文字分の大きさでどこかおどけた顔の兎の絵が描かれていた。

懲罰として課された筆写だった為、当然それは藍啓仁に提出されていたのだろう。
始めこそ手を抜く為に崩した草書を使い、誤字脱字をいかに誤魔化そうと違う方向に四苦八苦をして並々ならぬ努力をしたものだが、ものの数回でそれが懲罰の回数をいたずらに増やすだけだと悟った魏無羨は、今度はいかに綺麗な楷書を書けるかに心血を注ぐことにした。
ただでさえつまらない内容を書き写すのだ。
少しでも楽しみを見出さなければやっていられなかった。

この書はその努力の賜である為、魏無羨本人も一見して自分の書いたものだと気づかなかったのだ。
これは確かに魏無羨が書いたものだが、魏無羨本来の字では無い。

改めて広げた紙を一枚一枚手に取ると、やはり何処かに集中力を欠いて気の抜けたように崩れた文字があり、兎や亀などの小さな落書きが隠れるように描かれていた。

そうしてふとそのことを思い出す。

「筆写の数が増えていたと思ったのはこれのせいか?」

千回だった筈のそれが幾ら書き写しても終わりが見えず、そのうち面倒になり数えることをやめた。
この日が最後だと藍忘機に告げられるまで続けていたので実際に何回筆写したかは定かではなかったが、品行方正な藍忘機がこんなことで嘘をつく筈もないと信じていた。
それでも何処かで多いと感じていたのは、時折、悪戯心の赴くままに書いたこれらを藍忘機が抜き出し、その分の数を増やしていたからに違いない。

『何てことだ!』

今思えば分からないわけが無いのだが、あの頃の魏無羨は本気で分かるまいと思って愚行を繰り返していたのだ。
あまりに幼い行動に思わず自嘲する。

と同時に、手の中の、丁寧に折り畳まれて保管されていたであろう書を見つめていると、何とも言えない気持ちが奥底から込み上げてくるのが分かった。

この書を、この絵を、不夜天で別ってから藍忘機は幾度となく見ていたのだろう。
そうして、何処にいるともしれない自分を想ってくれていたのだろうか。
それを十六年もの間、繰り返し、繰り返し。

気付けば書を持つ手が微かに震え、目には熱いものが浮かんでいた。

どれだけ自分は想われていたのだろう。
今は生涯の知己と信じて疑うこともないが、かつてはそれを過去のものだと藍忘機に向けて口にしたことさえあったのだ。
口さがなく強い言葉を向けたこともあった。
それがどれほど藍忘機を傷つけたのかしれない。

先程まで浮かんでいた笑みは消え、魏無羨は堪らずに唇を噛みしめていた。

魏無羨が喋らなくなると途端に室内は静かになる。
聞こえるのは微かな風に揺れる梢の葉擦れの音と、遠くに聴こえる鶲の囀りだけだ。

そんな静寂を破るように、黙り込んだ魏無羨に代わって口を開いたのは藍忘機だった。

「絵の才はあるが、落書きの才は無い」

どれも同じだと指を差され、魏無羨は思わず顔を上げた。
そうして大きく見開いた目で手にした紙を見比べる。

言われてみれば、ところどころに描かれた絵は兎、亀、鳥の三種類しかない。
どの紙を見てもその三つが少しばかり形を変えて描かれているだけだった。
確かにこれではあまりにつまらない。
才があるとは言えないだろう。

「藍湛、お前……っ」

真面目腐った顔で尤もらしく指摘する藍忘機にどうにも我慢出来ず、次の瞬間には魏無羨は手にしていた紙を放り出し、腹を抱えて笑っていた。
止まらない笑いに、先程まで薄っすらと浮かんでいた涙が別の意図で溢れる。
涙で滲んだ視界に微かに口端を上げて微笑う藍忘機の姿が映った。

『お前とこんなふうにあの頃の話が出来るようになるとは思ってもいなかったな』

魏無羨が笑い、藍忘機がそんな自分を穏やかに見つめている。
そんな何でもないことがどうしてか嬉しくて仕方がなかった。

笑いながらとうとう床に転がった魏無羨は、そのまま障子を開け放した先に広がる空を仰ぐようにして体を横たえた。
くつくつと込み上げる笑いをそのままに、思うままに四肢を伸ばす。
そうして頬を撫でる微かに湿った風を感じながら、眩しいばかりの陽光を遮るように右手を額へと当てた。
笑いすぎて溢れた涙が一筋、こめかみを伝って肌を擽る。


見上げた姑蘇の空は、何処までも抜けるように青かった。







昨日pixivに投稿したものをこちらでも。
1日で観覧2,300超えにビックリしました。
フォロワーさんも増えて嬉しい限りです。
pixiv、改めて凄いです。
自分でも気に入っているお話なのでとても嬉しいです。

50話以降のcql知己忘羨です。
魏嬰が遊歴から戻ってきたばかりの頃のお話。
虫干しと称して静室を漁っていた魏嬰が見つけたものとは……。

座学時代を思い返す忘羨。
藍湛があれを大事に持っていたら、それが魏嬰に見つかったりしたらと思って書いたお話です。
原作魏嬰だと思い切り藍湛の前で笑って「この美人ちゃんは何て可愛いんだ!」となりそうですが、cql魏嬰はこんな感じでしょうか。
魏嬰はこんなことをやりそう、藍湛はちょっと独特の視点で物を見ていたら面白いと思って書きました。
遊歴から戻ったばかりなのでまだまだ知己知己です。
黙り込む魏嬰は知己の告白回の泣き笑いのあの顔で。

因みにcqlは字幕版派。
吹替はほぼ未視聴の為、口調は字幕版に寄せています。
EDは本国版が好きなので魏嬰の遊歴前に藍湛は仙督に就いています。

観音廟→秋
遊歴→秋冬春
再会→初夏
というイメージで書いています。
半年くらいの遊歴。
ちょっと矛盾も出てしまいますが「驟雨の朝」「花蘇芳」は再会1年後くらいのお話です。
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cql忘羨SS



「花蘇芳」
藍忘機は雄弁な男だ。

口にする言葉こそ少ないが、その目は幾多の感情を表し、大きく隆起した喉仏は清廉で寡欲な容貌に反して秘めた欲情を露わにする。

宿雨の昼下がり。
しとしとと降り続く雨の音と共に静室に響く琴の音は変わらずとも、先程から横顔に感じる射るような視線は熱を帯びていく一方だ。
そうして視界の端に映る彼の喉仏が上下に隆起するのを見る度に、得も言われぬ緊張感が怖気のように全身を這い上がっていくのが分かる。

『……落ち着かない』

一盞茶時、窓辺の牀榻に腰掛けた魏無羨は、手の中の書物の同じ頁を開いたまま一文字も先に進むことが出来ずにいた。
先程まで読んでいた内容も、もう既に覚えていない。
紙を捲る音が無くなり、今も変わらずに続いているのは雨の音と琴の音。

そして、自分を見つめる男の視線。

雄弁過ぎるその視線の熱が、言葉にならない強い何かを訴えかけているようだった。

『……藍湛、何故そんなに俺を見る』

何を言いたいのか問い質したい衝動に駆られるものの、しかしその強過ぎる視線の意味を知ってはいけないような気もしてどうしてか聞くことが出来ない。
魏無羨自身、知りたいような知りたくないような、如何ともし難い複雑な感情を拭えずにいた。

この静室で居を共にするようになってから一年余り。
ここのところやけに熱を孕んだ視線を感じることが多くなった。

『……っ』

ふと、視線を受けている左の頬に引き攣れるような痛みを感じた。
否、錯覚だろう。
しかしまるで皮膚が焼けてしまいそうなほどの熱がそれにはあった。
焦げ付くような、針で刺すような、鋭い痛みすら感じるほどの強さだ。

決して逸らされることのないその視線は一体何を意味しているのだろうか。
否、本当は分かっているのかもしれない。
だがしかし、そうだと認めるにはにわかに信じ難く、認めてはいけないもののように感じるのだ。

いっそ五識を閉じてしまいたい。
だがあまりに強すぎる視線にそれも敵わず、いつの間にか魏無羨は藍忘機のことしか考えられなくなっていた。

耳に入る琴の音からまず浮かぶのはその指先だ。
弦をつま弾く指はすらりとして長い。
節ばった長い指は決して細いわけではなく、剣をも振るう手は玉のように白く透き通って美しいが、魏無羨の手を包み込んでしまえるほどに大きく雄々しくもある。

冷え冷えとした怜悧な容貌のままにその手は冷たく、しかし時に驚くほどの熱をも孕むことを知っている。
そうしてその手に触れられることが心地よいことも、魏無羨は知っていた。

他人に触れることを厭っていた藍忘機が至極当たり前のように自分に触れるようになったのはいつからだろうか。
蘇る前の記憶は時々曖昧で定かではないが、大梵山で再会したあの時から既にそれは始まっていたのかもしれない。
あの頃はまだ必要に応じてだったが今は違う。
時折、何とはなしに触れてくることがあるのだ。

意図してなのか偶然なのかは分からない。
それは手であったり頬であったり。
時には髪に触れることもある。
肌と肌が触れることも勿論そうだが、生涯切ることのない髪に触れられるのは特別な意味があるように思えて仕方がない。
揶揄かうように、じゃれ合うように魏無羨が自ら触れるのとは違う藍忘機からの触れ合いは、どうしてか嬉しくもあり気恥ずかしくもあった。

そんな指先の次に浮かぶのは、白磁の如く透き通り、すらりとしていながらもしっかりとした太い首に浮かぶ喉仏だ。
くっきりと隆起した大きな喉仏は時に直視することすら憚れるほどの欲を露わにし、そうして魏無羨自身もまた、その隆起を見るだけでひどく欲情した。

少ない言葉を発する時。
物を食す時。
そして、こうして自分を見つめる時。

藍忘機の大きく上下する喉仏を見るだけで、つま先から痺れるような緊張と形容し難い感情が込み上げてくるのだ。
それは燃え上がる焔のような熱でもあり、凍てつく氷のような冷たさでもある。

ふとした瞬間に涼やかで美しいこの男にも欲があるのだと感じてから、やけにそこに目がいくようになってしまった。
同じ男なのだから欲があっても不思議ではない。
だが藍忘機は高潔が衣を着て歩いているような男だ。 
仙の域と称されるほどに清廉で寡欲な様は俗世とは一切無縁のように見える。
そんな男が腹の底から何かを欲することがあるのだろうか。

しかしそれでも、間違いなくこの男にも欲があるのだと思う。
普段気にも留めないそれが動くさまはひどく生生しく、男だと感じる瞬間だ。

そんな藍忘機の喉仏を見ると、時折疼くような衝動が込み上げてくるのだ。
自分では抑えきれないほどの情欲を感じるのは、魏無羨自身、初めてのことだった。
奔放で多欲に見えて、その実決して欲が強い方ではない。
それ故、戸惑いを隠しきれなかった。

『……まただ』

一音の乱れもなく奏でられる琴の調べはそのままに、けれどその視線は自分に向けられたまま、また一つ藍忘機の喉仏が大きく上下した。

視界の端に映るそれにひどく喉が渇き、知らず知らず魏無羨の喉仏も上下する。
と同時に、得も言われぬ衝動に突き動かされるように胸の前で組んでいた左手をゆっくりと上げた。
食い入るように見つめる藍忘機の視線が己の指先に注がれるのが分かる。

窓の外の灰青の空に映える花蘇芳の白い花を眺めながら、魏無羨は知らず知らず親指の腹で乾いた唇をなぞっていた。
あわいから思わず溢れた吐息で湿った指先が唇を微かに潤す。

『藍湛……』

込み上げる言葉にし難い感情をどうすることも出来ず、魏無羨はただ胸の内でその名を呼ぶことしか出来なかった。

見やった視線の先で濡れた花蘇芳の花弁がひとひら、降りしきる雨の雫に纏うようにはらはらと舞い落ちていく。
それがひどく扇情的に目に映った。

真っ直ぐに地面に落ちる雫。
一処に定まらず踊るように落ちる花弁。

そして降り続く雨。


いつしか琴の音は止まっていた。

ゆっくりと視線が重なる。
濡れたような眼差しの先で、また一つ、藍忘機の喉仏が上下に隆起した。
音までも聞こえきそうなその動きに呼応するように、魏無羨も堪らずに喉を鳴らす。

息すらも出来ないほどの張り詰めた緊張に、心臓が大きく脈打つ。
次第に大きくなる鼓動が耳の奥で木霊しているようだ。
重なる視線は絡み合った糸のように解ける気配もない。

視界の端でまたひとひら、白い花弁が舞い落ちていく。

そうして、

「……藍湛」

焦がれるように、魏無羨はその名を呼んだ。







pixivにも投稿していますがこちらでも。

50話以降のcql忘羨。
互いに意識しながらまだ何もない知己です。
何もないけどもうすぐ何かあるかもしれない知己。
雨の日に何となく浮かんだ雰囲気SSです。

藍湛の気持ちに全く気付いていない魏嬰も良いですが、何となく気付いてその意味を考えて悶々としている魏嬰も良いです。
焦れったいくらいがちょうど良い。
cql知己忘羨ですが、2次元ではないのであまり性的な表現をすると羞恥心に駆られていたたまれなくなります。
手や指も好きですが、初めて喉仏に惚れました。
口数は少ないですが表情や所作が雄弁なcql藍湛が好きです。
因みに花蘇芳の花言葉はいろいろありますがこのお話では目覚め。
藍湛への恋情の目覚めということで。
魏嬰の物憂げな表情は大梵山後の目覚めた時のあの顔で。
cql忘羨SS。



「驟雨の朝」



雲深不知処、卯の刻。
明け方の驟雨で濡れた飛石を跳ねるように足を進めた藍景儀は、主屋から離れた竹林に囲まれた場所に佇む静室の戸口の前に立つと、息を一つ吐いて呼吸を整えた。
「含光君、お休みのところ申し訳ございません」
三度戸を叩いてから、控えめに、けれどしっかりと聞こえる声で藍景儀はこの部屋の主に呼びかける。
「沢蕪君から急ぎの書簡をお預かりして来ました」
卯の下刻も間もなく終わろうかという時である。
家規に則り卯の初刻には起床している藍忘機がこの時刻まで休んでいるとは到底考え難いのだが、此処にはもう一人、居を共にしている者がいる。
その者の起床がこの雲深不知処において誰よりも遅いのは周知の事実であり、まだ卯の刻のこの時刻では深い眠りの中にいることは明白だった。
その者の眠りを妨げることを何より嫌う藍忘機の不興を買いたくはないのだが、しかし藍曦臣からの使いを疎かにすることも出来ない。
藍思追がいればこの役目を逃れることが出来たのだが、あいにく早朝から仙門世家の来客で藍曦臣と共に手が離せない為、藍景儀に回ってきてしまったのだから致し方ない。
それにしても品行方正な藍忘機が何故あの者の怠惰な様を許容するのか未だに理解し難い。
もともと藍氏の者ではないのだから好きにさせよということだが、ここまで長く雲深不知処にいるのだからもう藍氏と同じではないかと藍景儀は思う。
それに何かにつけて雲深不知処にやって来る江宗主に向けて藍氏の者だと言い切るのは他でもない藍忘機なのだ。
兎にも角にもあの者の眠りを妨げ、藍忘機の不興を買いかねない時刻であることは間違いない。
そもそも時刻に関わらず出来ることなら静室には近寄りたくないというのが本音だ。
「……含光君?」
戸を叩いて暫し待っても返事がないことに首を傾げながら、藍景儀は再び呼びかけた。
常日頃から泰然とした藍忘機が慌ただしく応答する筈がないとは言え、少々時間がかかり過ぎているようにも思える。
まさか本当にまだ休んでいるのだろうかと訝しげに思ったその時、ひたひたと床を打つ裸足の足音が微かに聞こえた。
そしてやや乱暴な所作で開いた戸の向こうから姿を現したのは、この部屋の主である藍忘機その人ではなかった。
「……何だ景儀か。どうした?こんな朝っぱらから」
寝乱れた黒髪を掻き上げて、真っ赤な髪紐で結きながら自分を見下ろしているのは魏無羨だ。
里衣を身に着けているとはいえ、襟元はやや乱れ、足元は裸足のままで何処か無防備な姿に見える。
今にも浮かびそうな欠伸を噛み殺しているその顔も、いかにも起きぬけといった風情が否めない。
実際、戸口に来るまでに幾度か欠伸をしていたのだろう。
潤んだ瞳はまるで泣き腫らしたかのように、そうと分かるほどにはっきりと眦が赤く染まっていた。
「魏、先輩……」
魏無羨のその姿にどうしてかいたたまれない気持ちになった藍景儀は、上気した顔を赤く染めながら視線を足元に逸らすと口早に告げる。
「が、含光君に沢蕪君から急ぎの書簡です」
下げた視線を上げる機会を窺っていた藍景儀は、拝手の下から真っ白い靴先が覗いたのを見て漸く顔を上げた。
魏無羨の背後から現れた、一寸の乱れもなく真っ白な衣を身に纏ったその姿に思わず安堵の息をつく。
藍忘機の浮世離れしたその姿は寝食すら必要としていないのではないかと思うほどだ。
まさに仙の域と言える。
「魏嬰、朝餉が冷める。早く食べよ」
藍忘機がそう言うと、魏無羨は欠伸を一つこぼしてから言われるままにのそのそと卓へと向かう。
その後ろ姿を見送りながら、藍忘機は藍景儀に向かい立った。
「何事だ?」
我に返った藍景儀は藍曦臣から書簡を預かった際に託けられたことを告げる。
「歐陽宗主からです。巴陵の山中に大量の彷屍が現れたとか」
書簡を受け取った藍忘機は魏無羨が朝餉を食している卓の向かいに端座すると、徐ろに書簡を広げた。
その姿に行儀悪く姿勢を崩して汁物を啜っていた魏無羨が問いかける。
「子真のところか?」
「そうだ」
「巴陵なら雲夢江氏が近いだろう?江澄のところに行けばいいのにわざわざ仙督様直々にお願いか?」
そう言いながら魏無羨は手にしていた汁物の椀を置くと、また一つ欠伸をこぼしながら卓を周り、藍忘機のすぐ隣へと腰を下ろした。
そうして藍忘機の手元の書簡を覗き込む。
「仙督様は忙しいな」
揶揄するように笑う魏無羨に藍忘機は顔色一つ変えない。
しかしその姿を見て、藍景儀は何故かまた頬が熱くなるのを感じた。
『……近い』
既に肩と肩は触れ、頬も触れんばかりに顔を寄せた魏無羨の長い黒髪が藍忘機の肩でゆるく波打っている。
それを歯牙にもかけず、
「食うに語らず」
藍忘機は魏無羨へと短く告げる。
「はいはい、物を食べている時は話さない。毎日聞いてるから分かってるよ。でもな、今は椀を置いて食べてないぞ?だから別に構わないだろ?」
「まだ殆ど残っている」
藍氏の家規にあるそれは食事中の終始を指しているのであり、物を口にしていない時は話して良いというわけではない。
そもそも食事中に卓に頬杖を付くのも、途中で座を移動するのも家規で無くとも行儀が悪いことだということは子供にでも分かる。
そんなことを大の大人が毎日含光君から言われているのかと藍景儀は思わず閉口した。
しかしそれもすぐに目の前の光景を見てまた気もそぞろになる。
「朝っぱらからこんなに食べられるかよ……」
そう言いながら藍忘機にもたれ掛かっていた魏無羨は、いよいよその顎を肩に乗せると額を擦りつけるようにして顔を埋めてしまった。
自分の肩で再び眠りに落ちていきそうな魏無羨に視線を向ける藍忘機の表情は常とは変わらずとも、その眦が幾分やわらかく感じるのは気のせいではない筈だ。
「魏嬰、起きよ」
心なしかその声音も優しい。
「うーん……らんじゃ……ん……」
それに返す魏無羨の声は既に消え入りそうなほどになっている。
このまま眠ってしまうのは時間の問題に違いない。
そして藍忘機がそれ以上諌める様子もない。
おそらくこれが二人の日常なのだろう。
『……近いっ!』
最早、藍景儀の心臓は跳ね上がらんばかりで早鐘の如く打ち付けていた。
そうして漸く藍曦臣からの用件は既に済み、いつまでも此処に自分がいる意味が無いことに気付くと、
「し、失礼しますっ!」
藍啓仁の目に留まれば即座に叱責されそうな取ってつけたような拝手と共に藍景儀は足早にその場を後にした。
途中、雨に濡れた飛石で足を滑らせるも、何とか転ばずに影竹堂の門をくぐり抜ける。
それでも上気した頬の熱は引かず、どうにも落ち着かない気持ちは鎮まることを知らない。
歩みを緩めることが出来ないまま、藍景儀は竹林の道を駆け抜けた。
いっそ冷泉にでも浸かりたい気分だ。
『だから嫌なんだ、静室に行くのは……!』
藍忘機も魏無羨も毎日顔を合わせない日は無いし、口数の少ない藍忘機はともかく魏無羨とは言葉を交わさない日も無い。
鍛錬を受けることもあれば二人と共に夜狩に行くこともある。
藍景儀にとって二人の存在は当たり前に日常の中にあり、二人が共にいることに最早何の違和感も感じてはいない。
藍忘機の隣には魏無羨がいて、魏無羨の隣には藍忘機がいる。
まだ年若い藍景儀が生涯の知己とも呼べる二人の関係に羨望すら感じることも少なくない。
幼少の頃から共に切磋琢磨をしてきた藍思追と二人のような関係になれるだろうかと考えることもある。
だが藍忘機と魏無羨の二人は、藍景儀と藍思追とのそれとは決定的に何かが違うのだ。
時折見せられる親密過ぎる距離感や空気感に例えようのない羞恥心を感じるのは一体何なのだろうか。
そもそも知己だからと言って壮年の男が居を共にするものなのか甚だ疑問だ。
そうそう訪れる場所でもないが、未だに静室にある牀榻が一台しかないことを藍景儀は知っている。
そしてそれが意味することは一つしかない。
そう考えると先程の魏無羨のなりには深い意味があるように思え、ますます頬が上気していくのを感じた。
「……だから嫌なんだ!」
藍景儀は堪らずにそう口にすると、猛然と冷泉への道を駆け降りて行った。





何もない知己忘羨です。
意味があるようにも取れますが何もありません。
ただの珍しく早く起きた寝不足寝起きの魏嬰。
思春期景儀が想像しているだけです。
ツイッターで見掛けた静室に訪れた景儀が事後魏嬰を見て飛び上がるというネタを拝借しました。
cql忘羨だとこういう感じかしらと。
傍から見たら明らかに距離感や空気感がおかしくて見ている方がいたたまれなくなるにも関わらず、何もない知己です。
でも牀榻では共に寝ているそんな知己。
何もない知己ですが、寝起き魏嬰の甘えたに藍湛は日々悶々としているのも良いです。
そもそも何もなくても妙な色気がある陳情令魏嬰なので思春期の子供たちにはいろいろ目の毒かと思います。
景儀は動かしやすくて書きやすいですね。
子真も好きなので入れてみました。
江澄に牽制する藍湛も好き。
私の中のcql忘羨はこんな感じです。
なかなか楽しかったです。
タイトルの驟雨は歌詞にあった言葉を無駄に使いたかっただけです。
cqlの曲は歌詞の言葉が難し過ぎて日本語訳を見ても意味が分からないという。
因みに肩で顔を埋める魏嬰に向けた藍湛の表情と声音は、紙人形魏嬰に向けた「别闹」のあの顔と声音で。

雨に濡れた桜と共に。
「七月三日の朧月」


依存されている自覚がある。
端から見れば僕が彼に依存していると思うのだろう。 
いや、依存されているというのは正しくない。
依存されているだけではなく、僕も彼に依存しているのだ。
依存されていることに依存していると言うべきか。
日常生活に頓着しない僕を、彼が仕方ないといった顔で何くれと面倒を見ている素振りをしているが、彼がそこに自分の存在意義を見出だしていることを知っている。
僕はそれを知りながらそうされることを望んでいるのだ。
彼に依存されるのはとても心地が良い。
僕の存在が寄る辺ない彼のただ一つのよすがとなっているのだろう。
敵を斬ることにしか自分の存在価値を見出だせないという彼が、唯一それ以外に見付けたもの。
それが僕だ。
きっとそれは他の誰でも良いのかもしれない。
しかし彼は求められることだけを望んでいるわけではない。
だからこそ、僕なのだろう。
同郷の刀であることや、元の主の関係性が影響していることのは少なからずあるのだろうがそれは些末なことだ。
僕達は互いに依存し合うことで補完されている。
何て危うい絆だろうか。
まるで、縒れていない、繭から引き出された一本の絹糸のようだ。
何かの拍子にぷつんと簡単に切れてしまいそうでいて、そう簡単には切れることがない。
けれど紡がれた糸でも無い。
そんな一本の絹糸。
それが、僕と彼だ。


その日だけはどうしても独りではいられないのだろう。
寝静まった夜半過ぎ、まるで泣き出す寸前のような顔をして彼は僕の部屋へとやって来る。
この日は夜風も無く、少し寝苦しい程に暑い夜だった。
何も言わず、ただ音もなく障子を開け、朧の月明かりを背に立ち尽くす姿は、頑是無い子供のようでどうにも頼り無い。
痩せぎすの体がより一層細く見えて手を差し伸べずにはいられなかった。
僕の熱を求めて自ら来ておきながら、最後の一歩が踏み出せないのはいつものことだ。
月明かりを浴びたまま、半刻ほどそこに立ち尽くしているのを知っている。
気配に気付いて僕が目覚めるのを待っているのだ。
いや、本当は僕が眠りについていないことなど端から知っているのだろう。
それでも彼は、僕が『目覚める』ことを待っているのだ。
まるで何かの儀式のようだと思う。
そうして、
「……眠れないのかい?」
ようよう目が覚めた風を装ってそう声をかけると漸く、彼の心が決まるのだ。
「先生……」
いつになく弱々しく、消え入りそうな声で僕を呼ぶその声の何と心地の良いことか。
半刻も待たされて持て余した熱を感じるその声は、平時の彼からは考えられないほどに濡れて色を帯びている。
何処か甘えたその声に呼ばれただけで、下腹部が熱く滾るほどだ。
いつもは翳りのある赤い瞳が潤んで僕を見つめている。
そこにははっきりと欲情の色が浮かんでいた。
それから、
「おいで」
手を差し伸べてそう一言声をかければもう、後は箍が外れたように彼は僕にすがり付いて来るだけだ。
そこが彼にとっての境界線なのだろうか。
骨が浮いた裸足で一歩敷居を踏み越えた途端、彼は内に秘めていた欲望を露にする。
それが目に映るものだとすれば、夜空に向かって燃え盛る焔のようだろう。
色気も何も無い痩せぎすの体をした口の悪い少年が、まるで女郎のように欲情を駆られる存在へと変貌する様は圧巻だ。
酒と色に溺れて身を滅ぼしたという元の主の性(さが)を継いでいるようにも思える。
尤も、彼が求めるのは女ではなく、『女』になることだ。
眠れない夜を刀を振るって過ごそうとでもしていたのだろうか。
羽織こそ纏っていないが、いつもの鉤裂きだらけの長袖と股引、薄汚れた着物を尻端折りにして身に付けている。
この日はいつもこうだ。
浴びるほどに酒を呑むか、肉体的な疲労を得る為に腕が上がらなくなるほどに刀を振るう。
持て余した熱はそれでも発散出来なかったのか、朧の月明かりにも薄い胸が上下するのが分かる程に彼の呼吸が上がっている。
「……んな格好で暑くねぇのか」
寝間着を着て肌掛けを掛けたまま上半身を起こした僕を見下ろす彼の額には、うっすらと汗が浮いていた。
「君の方が暑そうだよ」
そう言って彼の細い手首を掴み、そっと引き寄せる。
何処にそんな力があるのか、脇差とは言え重い刀身を振るうとはとても思えない骨が浮いた手首は簡単に捻り潰せてしまいそうだ。
引かれるままに細い脚で僕を跨ぐようにすると、そのまま彼はゆっくりと腰を下ろした。
まるで見せつけるかのように細い脚を開き、太腿ではなく、既に兆している下腹の上に尻を乗せる。
あわいに硬く勃ち上がった性器が当たった。
露骨に腰を捻り、その感触を確かめると、彼は卑猥な笑みを浮かべた口元を歪める。
「……あんたのここはもっと熱そうだ」
わざと下卑た誘いを口にするあたり、自虐的だ。
元の主のせいか、雑に扱われることに慣れているというのが口癖のようだが、こんな時もそれは変わらないらしい。
寧ろ、そう扱われることで自らの存在価値を見出だしているのだから質が悪い。
自虐的で露悪趣味。
実に難儀な性格だ。
いっそ不憫に思えるほどだ。
そしてそんな彼を受け入れる僕も大概だと思う。
こんなことでしか甘えられない彼をただ優しく抱き締めてあげたいと思いながらもそうすることが出来ず、己の欲に溺れることに抗えない。
何てことはない。
ただひたすらにそんな彼が愛しいのだ。
愛しいが故に、もっと苦しめたくなる。
束縛して苦しんで苦しんで苦しんで、僕だけに依存して欲しいと切に願う。
破綻しているとも言える歪んだこの想いは、儚くも朧だ。

糸のように垂れ下がる白い包帯を手繰り寄せ、指先に絡ませて首の包帯をそっとほどく。
他の誰にもあまり見せたがらないこの傷を、僕には躊躇うことなく晒すことも心地よい優越感に浸らせる理由の一つだ。
僕の腹にある傷もまた、彼だけのものだ。
露になった傷痕には無数の赤い蚯蚓腫れが出来て、ところどころ血が滲んでいた。
また掻きむしったのだろう。
だらりと肘を膝にかけたその指先の爪の間が赤く染まっている。
月明かりに浮かぶその様は酷く痛々しい。
僕の腹の傷もそうだが、不思議なことに体に刻まれた傷痕が疼くことが度々ある。
顕現した時には既にあり、手入をしても消えない傷。
それを受けた記憶など無いのに思い出したように時折疼くその感覚は、何度経験しても不可思議でしかない。
それは元の主の打ち首の痕か、それとも尊王志士の暗殺の際に物打ちから折れたという刀の痕か。
刀工の逸話が元になっているという僕からすれば、後者であることを望みたい。
その傷痕は、彼と僕を繋ぐ唯一のものだ。
他の誰も知り得ない彼と僕の絆。
「血が出ているよ」
白く細い首に浮き上がる傷痕の肉塊と、そこに重なる赤い蚯蚓腫れをそっと指先で辿ると、彼の腰が僅かに揺れた。
より一層潤んで濡れた瞳がまるで血のような鮮やかな赤に変わる。
そんな瞳を見つめながら、そのまま両の手の指を回す。
指で作った輪が余るほどの細く華奢な首は、いとも簡単に手折れ、容易く縊れてしまいそうだ。
「……ぐぅっ」
僅かに力を込めるだけで、彼の喉が苦しげに鳴った。
呼吸を封じられた彼の薄い胸が不規則に大きく上下する。
あと少し、この手に力を込めれば。
あと少し。
そうすれば彼の全てが僕のものになる。
僕だけのものに。
それは、何て甘美な誘惑だろう。
「う゛ぅぅ………」
更に指先に力を込め、恍惚とも呼べる表情を浮かべたまま苦痛の声を漏らす彼の下腹を見下ろすと、そこは確かに形を変えていた。
きっと下履きの中は彼の溢した先走りで滑るほどになっているに違いない。
そうしてこの指に更に力を込めて彼の息が止まる一瞬、そこは弾け、躍動し、大量の熱を吐き出すのだ。
彼の小さな尻に敷かれた僕の熱もまた同じ。
それから空が白むまでずっと、僕たちは貪るように互いを求め合い、気を遣り続ける。
そんな関係をもうずっと続けている。
互いに依存し合い、互いの存在を確かめるような行為に走るこの衝動を、変質的と言うのだろうか。
それでも求めずにいられないのは、きっと僕たちの実体が存在しないからだ。
逸話も謂れも歴史もある。
しかし本体は行方知れずで存在しているのかすら分からない。
この身を得て、この世に顕現していながらその実体は無い。
まるで濃紺の闇に浮かぶ朧の月のようだ。
実体の無い、僕たちそのものが朧。
それが------------僕と彼だ。
唐突ですが、刀剣乱舞SSです。
オリジナル男審神者と大倶利伽羅。
顕現した肥前を酷使する審神者に大倶利伽羅がもの申しているお話です。




「おい」
前触れもなく響いた声に、緩慢な動作で文机に向かっていた男が振り向く。
僅かに片眉を上げて驚いた風を装っているが、その顔には何処か余裕さえ見て取れた。
付喪神故の、人よりも薄いとされる気配をこの男に気取られることはいつものことだ。
相変わらず薄気味が悪い。
「どうした、大倶利伽羅。お前から俺の部屋に来るなんて珍しいじゃないか」
何処か楽し気な表情で唇の片端を上げて男が言う。
そう問うていながらおそらくこちらが言わんとしていることは分かっているのだろう。
何処までも食えない男だ。
審神者と言われるこの男の力でこの世に顕現されて以来、既に数か月を共にしているが、かつての主達とは違う畏怖の念を感じずにはいられない。
無機物の刀剣から生み出された付喪神を、まるで本当の人のように扱うこの男と話していると、何もかもを見透かされているようで落ち着かない。
長居は無用だ。
性急に用を済ませようと再び口を開いた。
「いい加減にしてやれ」
常よりも低くなった声に男がまた僅かに片眉を上げる。
「肥前のことだ」
政府からの入電で新しく任命された特命調査により、一昨日顕現したばかりの新しい刀剣、肥前忠広。
幕末の剣士、岡田以蔵が使用したとされる脇差だ。
人斬り以蔵と呼ばれた男が使用していた刀剣だからか、口が悪く、随分と血の気の多い感が否めない。
「顕現してから休ませることなく出陣させている。錬度を上げる為とは言え、あまりにも無茶だろう」
新刀故か、姿は年の頃十代半ばとまだ若いが、それでもさすがに顕現した直後から自身の錬度を大幅に超える強靭な時間遡行軍と刃を交える戦場に出陣を重ねた挙句、重傷を負っては手入部屋に放り込まれ、即また出陣という無理を強いられれば限界というものだ。
口では強がりを言っているが、溜まる精神的な疲労は本体の修復とは別になる。
人の身体を持つということは実に厄介なものだ。
「あいつにはだいぶ資源を投資しているからな。元を取る為にも早いところ戦力になってもらわないと困る」
「だからと言って、錬度の上がっていない内から墨俣に出陣させるのはどうなんだ。時間遡行軍の弓や銃撃だけで重傷になったことが何度あったと思う」
顕現したばかりで錬度の高い男士と共に編成され、白刃戦に持ち込む前に弓や銃の遠戦で重傷を負い、何度帰城したか知れない。
「墨俣の後は延々厚樫山だ。厚樫山でも何度も何度も重傷を負っている。俺たちは疲労が溜まれば交代しているが、肥前はずっと出ている。今までだってここまで酷使する奴はいなかった筈だ。何であいつだけここまで無理を強いるんだ」
この本丸には審神者であるこの男に望まれて顕現した刀剣は数多いるが、ここまで短期間に錬度を上げさせる為に出陣を繰り返した刀剣は他にはいない。
ましてや軽傷や中傷はおろか、重傷を負ってですら行軍させる等、最早理解し難い所業に他の男士からも疑問の声が上がっている。
底の見えない男ではあるが、自分を含め、顕現した刀剣たちを大切に扱う、そういう男であった筈だ。
「珍しいな、大倶利伽羅。馴れ合わないお前がそこまで他の男士を気遣うなんて」
「そんなんじゃない」
茶化すような男の言葉に途端に居心地が悪くなった。
顔に張り付いた薄ら笑いが癪に障る。
「そう言えば燭台切もお前と同じことを言っていたな」
不意に出た名前に思わず視線が泳いだのが自分でも分かった。
そしてそれを見逃す男ではない。
「相変わらずいい男だよな。あいつも随分と肥前を気に掛けていたが妬けるな」
意味深な言葉の真意は測りかねるが、何かを返せば余計にこの男は面白がるに違いない。
「とにかく、少しは肥前を休ませろ。それだけだ」
見るに見かねてらしからぬことを進言している自覚はある。
これ以上余計な話は無用とばかりに踵を返した途端、
「何だ、大倶利伽羅。お前、燭台切に満足させて貰っていないのか。今度は肥前でも可愛がるつもりか」
投げかけられた予想だにしなかった下種な言葉に足が止まった。
「…何だと?」
振り返ると、火を付けていない煙管を咥えながら、下卑た笑いを浮かべた男が何処か剣呑な目を細める。
「なあ、大倶利伽羅。俺はお前のことも気に入っているんだ。欲求不満ならいつでも俺の部屋に来い。可愛がってやるぜ」
「っ!」
瞬間、込み上げる怒りに声を失う。
まるで見せつけるかのような、蛇のように舌で唇を舐め上げる仕草に嫌悪すら感じた。
こんな男の元に顕現してしまった己の運命すら途端に恨めしく思える。
もう話すことはない。
そう悟って再び背中を向けた途端、抗えない強い力で左肩を掴まれ、容赦なくその腕に囚われる。
そして男の熱い体温を感じた次の瞬間、ぬるりと耳殻を長い舌で舐められた。
「な…っ」
ぞわりと背中を這い上がる悪寒にも似た感覚に、自分でもそうと分かるほど体が跳ねる。
それでも逃れられない太い腕が、審神者であるこの男が自分よりも屈強であることを証明している。
底の見えない食えない男と称していながら、絶対的な強さを誇るこの男の元に顕現出来たことに刀剣としての喜びを感じずにいられないのもまた事実だ。
そしてそれを分かっているからこそ、実に性質が悪い。
「俺はな、大倶利伽羅、あいつこのことを心底気に入っているんだ」
鼓膜に直接響くように低い声が注がれる。
「肥前忠広、面白い男じゃないか」
「だったら…」
何故こうまでも無理を強いるのか、そう改めて問おうとした言葉はしかし、継げられた信じがたい言葉に遮られた。
「気に入っているからこそ、あいつを泣かせたいんだよ」
掠れた声が何処か睦言のように色を帯びている。
「あのクソ生意気なガキが泣きじゃくる顔を想像しただけで興奮するだろう」
まるで閨事を共にしているような、そんな興奮を隠せない男の雄を感じる声音に、出陣続きで久しく床を共にしていない男の感触を思い出して体の奥底が疼いた。
認めたくはないが徐々に体温が上がっていくのが分かる。
体が、欲している。
「あの細い体を組み敷いて、押さえ付けて、許しを請うまで泣かせて、ああ、堪らねえなぁ…」
抑えきれない興奮に上ずる男の声はもう、最早聞こえてはいなかった。




我ながら酷い鬼レベリングで肥前に入れ上げているなと自覚しているところをお話にしてみました。
久しぶりに文章書きました。
本当は漫画でサクッと笑えるお話にしたいところですが、私が書くと結局こうなります。
この後、大倶利伽羅は光忠とごにょごにょ。
政宗様ともちょっと違うイメージの審神者です。
丁寧語でも良かったのですが、南海先生と被ってしまいそうだったので男くさい感じにしてみました。
刀剣たちの閨事は全て把握している審神者。
因みに大倶利伽羅にちょっかいかけているのはからかっているだけ。
あいつらも欲求不満だったのかね、人の体を手にした途端、夜な夜な激しいものだと刀剣たちの関係を静観して面白がっているだけです。
本気になったのは肥前のみ。
審神者のドS心を掻き立てられて肥前の行く末はいかに。
いやもう本当に肥前がツボ過ぎて。
クソ生意気なことばかり言っては審神者にお仕置きを受ける、というか最早お仕置きを受けたいが為に生意気なことを言う無自覚のドM体質だと信じて疑いません。
自分の場合は不良息子を持ったおかんみたいな感じですが。
クソ生意気なことを言うけどお弁当はしっかり持って行って、美味かったとか言っちゃう息子のイメージ。


戦国BASARA (チカナリSS/高校生現パラ)




流れる視界には新緑が拡がり、頬を撫でる初夏の風がわずかにほてった体に心地よい。
入学してから一年と二ヶ月。
これまで意図して外の景色に目を向けたことも無かった元就には、通い慣れた道を自転車の後ろから見る景色がまるで初めて見るもののようだった。
歩道の脇を流れる用水路、青々とした苗が風に揺れる水田、鮮やかな花を咲かせる歩道の生垣のツツジ、沿道で若葉を茂らせるケヤキ。
そんなものを元親が漕ぐ自転車の後ろから眺めていると、まるで違う世界に入り込んだような気がした。
そうして同時に、今自分が何故、殆ど話したことも無いこの男の後ろにいるのだろうかと考えていた。


決して真面目とは言い難い所業の元親が、テスト明けの登校日でも無い日に学校にいたのは単に日にちを間違えたからだったらしい。
「お、毛利じゃねえか、何してんだぁ?」
出逢いしなの第一声は、そんな気の抜けるような一言だった。
と同時に、この男が自分の名前を知っていたことに、僅かに驚かされた。
梅雨明けのよく晴れた午後。
図書室での自主勉強を切り上げた元就が昇降口に向うべく中央廊下を歩いていたところで、悠々と階段を降りてきた元親と偶然顔を合わせた。
明らかに此処にいることが不自然な中途半端な時間と、登校日でも無いことに違和感を感じながら、それでもその存在を無視して進めようとした元就が足を止めたのは、目の前を塞ぐようにして元親がその大きな体躯を近づけたからだった。
壁のように立ちはだかる男を、元就はと言えば、圧倒的な威圧感を物ともせず、臆することも無くただ真っ直ぐに見据えた。
まるで大人と子供程の体躯の違いを感じさせないその態度を、どう感じたのだろうか。
俄かに感じた緊張も束の間。
だらしなく下げた腰履きのズボンのポケットに両手を突っ込み、元就よりも頭一つ分ほど背の高い大きな体を猫背気味に丸め、そうして元親は、ただ進行方向にいたという理由だけで視線を向けていた自分を真っ直ぐに捉え、不意に、屈託の無い笑みを浮かべたのだ。
破顔して相好を崩したその顔は、黙していれば畏怖さえ感じさせる精悍な顔つきを、まるで頑是無い小さな子供のように見せていた。
その名前が他校にまで知れ渡る程に素行の悪い男とはとても思えないような柔和なその表情は、束の間、我知らず見入ってしまう程だ。
「登校日だと思って来てみたら誰もいねえんだもんな、参ったぜ。つうかあんた、こんな日にわざわざ勉強なんかしに来てんのか?はっ、物好きだな」
目の前で一方的に喋る男の顔をただ見上げながら、何故この男が自分に話しかけているのだろうかと、そんなことを考える。
一年の時は元より、二年になってからも同じクラスになったわけでは無い。
かと言って隣のクラスというわけでもなく、そもそも元親がどのクラスにいるのかも元就は知らなかった。
この男が委員会活動等をしている筈も無ければ、こちらは元就も同じだが、クラブ活動等に勤しんでいるわけでも無い。
全くと言っていい程接点の無い男が、廊下などで擦れ違ったことくらいはあるだろうが、殆ど初対面と言っても過言では無い自分と向かい合っていること、そうして、特別目立つわけでもない自分の名前を知っていることが不思議で仕方が無かった。
少し掠れた低い声で「毛利」と呼ばれることを何処かくすぐったく、けれどそれがどうしてか耳に心地よく、この声をずっと前から知っているような、そんな気さえ感じていた。
だからだろうか。
「こんな天気のいい日に勉強なんかしてたら腐っちまうぜ?」
決め付けられるようにそう言われ、不意に手首を掴まれて酷く強引に外へと連れ出された時も、
「何をするっ!」
そう口では抵抗しながらも抗えきれなかったのだ。
痩せぎすの細い手首を掴む大きな手の感触と熱い体温を感じながら、歩幅の違いをまるで気にしない足取りに半ばつんのめるようにして歩かされ、連れて来られたのは、普段であれば乱雑に自転車が溢れている、けれど今日は閑散とした自転車置き場だった。
波打ったトタン屋根に照りつける強い日差しのせいか、日陰になっていながらも何処か熱気の篭ったそこで、
「せっかくいい天気なんだ。ちょっと付き合え」
そう告げられた時の高揚感は、言葉では上手く言い表せない。
何故こんな自分に構うのか。
何故こんな自分を誘うのか。
わけも分からないまま、けれど何処かそんな強引さに惹かれながら、気付けば殆ど初対面の男の自転車の後ろに乗せられていた。
元親が跨がるとやたらと小さく見える自転車は、後ろに荷台のついた、所謂ママチャリと呼ばれる類のものだった。
人目を気にする年頃の高校生であれば、普通、もう少しスタイリッシュで格好のいいものを選ぶのでは無いだろうか。
しかしよくよく考えてみれば元親の格好は何処か無造作と言うよりも粗雑で、ようするに大して気にしていないのだろうということに思い至る。
それでも着崩した制服姿が計算されたように見えるのは、元の見場のよさの賜物なのだろう。
逞しい体や精悍で男らしく整った顔立ちの元親は、女生徒には元より、面倒見のよさからからか、年齢を問わず同性にも好かれている。
喧嘩っ早い性格や、隠しもしない喫煙、遅刻、さぼりの常習等、素行の悪さを補っても余りある魅力があるのか、まるで誘蛾灯のように男も女も引き寄せるこの男を、天性の人たらしだと、誰かが言っていたことを思い出した。
こんな自分にまで屈託の無い顔を向け、構ってくるほどの男だ。
そんな男の自転車の後ろに、四角四面にしか物事を考えられず、そのくせ合理的に物事を進める為には万に一つも容赦をしない、徹底的に冷淡な性格で決して人に好かれることの無い自分が乗っていることが不思議で仕方が無かった。
何故元親は、自分などに声をかけたりしたのだろうか。
そして何故、自分はそんな誘いを断ろうとしなかったのだろうか。
------否、本当は分かっている。
破天荒な元親の行動を疎ましく思いながら、けれども何処かで本当はそんな男が羨ましかったのだ。
違う世界を、見てみたかったのだと思う。
幼い頃から厳格な家庭で育てられ、優秀な兄を病気で亡くしてから、兄の代わりにと品行方正に努めてきた元就にとって、元親の型に嵌まらない生き方は眩しいばかりだった。
それ故にそんな男の存在を否定し、そして自分の存在を肯定していたのだと今なら分かる。
だがそれでも、元親の奔放さは惹かれずにはいられないものだった。
流れる景色を見やりながら、目の前の男へと視線を向ける。
広い、大きな背中だ。
そんな背中を包む洗いざらしの白いシャツが、バタバタと風を受けて膨らんでいる。
ズボンの外に出したままのシャツの裾が時折翻り、鞣した革のような褐色の肌が覗いた。
袖から伸びる腕は背中よりもさらに陽に焼けて黒く、そして逞しい。
もはや大人のそれと比べても何の遜色も無い男らしい腕の、けれど何処か歳相応な子供らしさを思わせる、かさついて白くなった肘に思わず眉根が寄る。
元就からしてみれば何が楽しいのか甚だ理解し難いことではあるが、この男が時折近くにある小学校の子供たちに混じって遊んでいるのを見かけたのは一度や二度のことではない。
大きななりをした子供のように無邪気にはしゃぐ姿は、その外見からは想像も出来ないことだ。
よくよく見れば、また何処かで子供のようにはしゃいでいたのか、有刺鉄線にでも引っ掻いたような赤いみみずばれが二の腕に細く刻まれていた。


「とぉーちゃーく」
不意に響いた声と急に止まった衝撃に俯けていた視線を上げると、そこはゆったりと流れる広い川の片岸に広がる河川敷だった。
駅までの道を左に折れた先に流れるその川は、近いとは言え、歩いて行くには僅かながら遠い。
そもそも、通学路から外れるそこは、日常生活では全く用の無い場所だ。
寄り付く理由も、拡がる景色を此処を渡る電車の車窓から見ることすらも滅多に無い。
「ほら、降りた降りた。くあー、いい天気だぜ」
追い立てられるように自転車を降ろされ、次いで殆ど乗り捨てんばかりの勢いで元親が自転車を降りると、雲一つ無い真っ青な空を見上げながら全身で大きく伸びをした。
その背中の、シャツの上からでも分かる隆起した肩甲骨から、引き剥がすように視線を外す。
盛夏にはまだ早い、けれどもう充分に夏と言える暑さと強烈な日差しの中で、時折吹き付ける風に足元に茂る草葉が揺れ、蒸れたような青い匂いが鼻腔をつく。
それは、普段感じたことの無い匂いだった。
何処までも広がる青い空も、全身を撫でていく風も、むせるような青草の匂いも、何もかもが初めて感じるものだ。
「しっかし暑ぃなあ。おい毛利、ちょっと待ってろよ」
相変わらずこちらの返事を待つまでもなく、大きな体で悠々と堤防を駆けて行く男の後ろ姿を見送りながら、元就は斜面を下り、静かに草の上へと腰を下ろした。
汚れることを厭うことなく草の上に座るのも初めてなら、こうして川の流れを眺めることも初めてのことだ。
強い日差しが水面に反射してきらきらと輝く様を、ただぼんやりと見詰める。
聞こえるのは、草葉を揺らす風の音と、遠くではしゃぐ子供達の声、そして堤防下の道路を時折走り抜ける車の音。
それらがまるでオブラートにでも包んだかのように一体となって、ざわざわと耳へと届く。
実に心地のよいひと時だった。
じわりと首筋や背中に汗が滲むこの暑さも、不思議と不快では無い。
それに僅かに堤防を降りただけでも、水辺に近いせいか、此処は随分と涼しく感じる。
それでも額に滲む汗に張り付く前髪を指で払いながら、元就はただぼんやりと目の前に広がる光景に見入っていた。


我知らず没頭していたそんな穏やかな時を破ったのは、ザクザクと草葉を踏み締める重い足音と、自分を呼ぶ男の掠れた低い声だった。
「上にいねえから帰っちまったのかと思ったぜ」
そう言いながら乱暴に隣へと腰を下ろし、破顔して見せる元親の生き生きとした表情に、束の間見惚れる。
逆光を背にする男の姿は、まるで太陽を背負っているかのような眩しさだった。
何度教師に注意されても元に戻すことが無いという鮮やかなまでの銀髪が、日の光に透けて水面のようにきらきらと輝いていた。
-----似合わないわけではないのだから、構わぬではないか。
それが立派な校則違反と知りながら、らしくもなく、そんなことを思う。
そうして細めていた目の前に、
「おら」
唐突にガサリとビニール袋が突き出された。
僅かに雫がついたそれを反射的に受け取って中を覗くと、そこには見たことも無いカラフルなパッケージのアイスの袋が入っていた。
そもそも日常の中でアイスを食べる習慣が元就には無い。
視線を向ければ、既に元親は手にした同じものの袋をバリバリと乱暴に破き、大きく開いた口にいっそ毒々しい程に真っ青な塊を放り込んでいる。
「やっふぁなふふぁこれらろう」
そうしてそう言った次の瞬間には、
「…かああぁぁーーーーっきたーーーっ!」
妙な奇声を上げ、眉間に深い皺を刻みながら握った拳で額を押さえ、呻いていた。
くるくるとよく表情が変わる男だと思う。
賑やか過ぎるそれが、けれど不思議と煩いとは感じなかった。
大きな体を丸めて蹲ったり、背後へと反り返ったりと、忙しなく動きながら呻き声を繰り出す男を横目に、元就はビニール袋から自分もアイスを取り、パッケージを破って中身を手にした。
既に表面が溶け始めている真っ青な塊を暫し眺め、思い切って口に運ぶ。
ニセモノのような匂いだけの甘ったるいソーダの味が口に広がり、そうして冷たい感触が喉を通って落ちていく。
初めて味わうそれに、余程不味そうな顔をしていたのだろうか。
横顔に視線を感じて俯けていた顔を上げると、アイスを片手に奇妙な表情を浮かべた元親が、じっとこちらを見詰めていた。
射るような強さを感じる、けれど今は何処か戸惑いのような色を浮かべる僅かに青みがかった不思議な色の瞳を見詰め返しながら、まるで深い海の底のような色だと、そんなことをぼんやりと思う。
と、不意に手に持っていたアイスの塊から溶け出した液体が、棒を伝って手首へと垂れていった。
「あ…」
声を上げた次の瞬間。
掴まれた手首ごと引き寄せられ、気付けば、垂れていた青い液体を元親の肉厚な舌先がべろりと舐め上げていた。
抵抗する間もあらばこそだった。
わけも分からないまま、ただ呆然と自分の手首を舐める舌先のざらりとした感触を感じ、そして何処か卑猥な動きを見詰めた。
掴まれた肌がちりちりと燃えるように熱をもっていく。
太い指が食い込んだ手首が痛い。
そうして舐め上げられた唾液が乾く間も無く肌を撫でる風が、やけに冷たく感じた。
どれくらいそうしていたのだろうか。
実際は、一分にも満たない短い時間だったのかもしれない。
だが元就には、まるで時が止まったような、そしてそのまま永遠にこの瞬間が続くような、そんな長い時間だった。
指先から感じる元親の体温と、濡れた舌の感触と、そして間近で見る意外にも長い睫毛だと分かる僅かに瞼を伏せた端整な顔と、それら以外の何もかもが遮断された感覚の中で、ぽとりと棒に残っていた食べかけのアイスが草の上へと落ちた音が唐突に、やけに大きく響いたのを聞いた瞬間、
「…っ!」
元就は弾かれたように、猛烈な勢いで立ち上がっていた。
溶けて落ちた欠片と、棒についたまま投げ出したアイスが草の上で無残な姿を晒している。
濡れた感触が生々しい手首の肌を、容赦なく風が撫でる。
そうして、唇の片端を僅かに引き上げて、悪びれずにあざとく笑う、男の顔-------


次の瞬間、元就は背中を向けて走り出していた。
堤防の急な斜面を駆け上がり、そして今度は堤防下の道路へと斜面を駆け下りる。
「おい、毛利っ」
背後から聞こえてくる声に無視を決め込み、ただがむしゃらにそこから離れる為に走った。
日頃から走ることなど無いせいか、すぐに息が切れる。
だがそれでも足を止めることは出来なかった。
舐められた手首の感触が生々しい。
元親にとってそれはただの戯れだったのかもしれない。
だが他人と触れ合うことの無い元就には、ただの戯れに出来ることでは無かった。
まるで口腔を犯されたような、それとも秘部を暴かれたような、そんな卑猥な感触だった。
子供のように無邪気に笑っていた男の、突然見せつけられた雄の顔に、心臓が撥ねてやけに煩い。
どうしようもなく、体が熱を持って仕方が無い。
吹き出す汗がシャツの中で背中を伝って気持ちが悪い。
汗に貼り付く前髪が鬱陶しい。
そうして、もう乾いた筈の手首の濡れた感触が頭から忘れられない-----


それが、元親という男が自分の世界に入り込んできた、最初の瞬間だった。





fin



そんなわけで、初チカナリが現パラってどうよと思いつつの高校生ものです。
制服高校生ものが読みたい衝動に駆られ、しかし思ったよりも自分が萌えを感じるシチュエーションの、というか学生ものが少ないことに愕然とし、なら自分で打ってしまえと突然打ち始めてしまったチカナリ現パラでした。
何気ない日常は、とんでもなく難しいと思い知りました……。
突拍子も無い出来事とか事件が起こっていた方が、そりゃ書くのは簡単ですよね。
何気ない日常って、ホント難しいです。
でもそんな何気ない日常が好き。
そんでもって制服高校生が大好きです。
久々に打った文章ですが、やっぱり思うようには進まなくて、おまけに暫く打ってないと文章って下手になるなあとしみじみ実感しました。
まあでも久々に打った割には、ちまちま進めつつも4日間というのは充分早い方ではないかなと(24時間あれば30ページくらいの本が1冊出来ていた昔とは違うけど…)
それにしてもやっぱり制服高校生ものは萌えの宝庫です。
田んぼと畑に囲まれた郊外の学校、自転車通学、近くに川原。
とりあえず、全部私の母校のイメージです。
オフィシャル学バサの設定とはちょっと違いますけど、毛利は名家の坊ちゃんで優等生、アニキは所謂不良だけどみんなに好かれている割といいヤツという感じ。
アニキ年下でもいいかなと思ったんですが、何となく今回は同級生です。
制服は何だろう、毛利だと絶対ブレザーなんですが、アニキは学ランの方が似合いそうですよね。
まあ今回は夏服なんでどっちでもいいんですけど。
私が書くとどうも毛利が可愛いげになってしまいがちです。
もっとツンツン容赦の無い感じがいいんですけど、でも何となく、世間知らずでぼんやりした毛利も好きだったりするせいか、気付くとこんなんになっていました。
そして相変わらず私が書く受けは台詞が少ない(笑)
近隣の高校で同じように悪さをしているのが政宗とか、一つ年上の幼馴染の孫一とは昔付き合っていて筆下ろしの相手とか。
とりあえずアニキは女関係はちょっと派手だったけど毛利に出会ってひとめぼれして毛利一筋になる感じです。
あ、ちなみに政宗は同じように悪さしているけど女の子とは全く無縁タイプ希望。
アニキと政宗は基本同じタイプで、でも決定的に違うのは女関係だと思います。
政宗はまだ男と群れていたほうが楽しいと思うタイプ(裏で小十郎が死守:笑)
ちなみに二人が食べているのは定番のガリ○リ君です。
学校帰りと言ったらやっぱりこれで。
中学時代、部活帰りに4本も食べて死にそうになったことを思い出します(笑)
そんなこんなで何かよく考えたら2年ぶりくらいに小説(というほどでもないですが)をUPしたのでじゃないかという、そんなチカナリでした。
お粗末様です。
ホントはいきなりチュウにしようかと思ったんですが、それよりも手首を舐めるって何かやらしくていいなと思ってこんな感じになりました。
ちなみにこれから続くぜい!的な終わり方ですが特に続きません(笑)
打ちかけの戦国時代のチカナリをどうにかしたいなあとちょっと思っていますが、まあこれもどうなることやら…という感じです。
でもやっぱりチカナリっていいなあと、そんなことを思った現パラでした。


目玉焼きを未だに失敗する主婦が何処にいる、って、此処にいるんですねえ(笑)
今日の目玉焼きは…何だろう、いっそ前衛的?(笑)

そんなこんなでこんばんは。
2個で100円のコロッケを見つけて上機嫌で帰ってきた私です。
激安バンザイ。
そして家に着いてまたバンザイ。
だって家に着いたのが19時!
スバラシイこのキセキ。
たまには早く帰ってやるぜ!と思い切って帰ってきてしまいました。
毎日これくらい早く帰ってこられたらいいんですけどね。
読みきれていない戦利品を読んで、そしてちまっと原稿をやれたらなあと思いつつ、23時には夢の中に10000ギル。
最近睡魔が強烈過ぎてどうしようもありません。
昨日はやたら夜が長かったような気がします。
そんなわけで今日もきっとすぐに夢の中だと思います。
毎日寝るのが朝の4時で普通に仕事に行っていた数年前が懐かしいです。

携帯の中に打ちかけの文を発見。
何か勿体無いので中途半端にUPします。
ムクヒバ+ディノヒバの3Pにしようと思っていた話の冒頭です。
10年後設定、舞台はイタリア。
真っ青に澄み渡った空と青い海と白い家並みと。
そんな景色を思い浮かべて打っていたお話です。
昔なら1週間どころか24時間くらいで上げられたお話だと思います。
なんだかんだでこれも書きたかったんだけどなあ…。

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どこまでも真っ青なアドリア海を横目に、ボローニャペスカーラ線A14を走るフェラーリの助手席に乗った雲雀は、今日何度目かしれない溜め息を零していた。
もう幾度訪れたかもわからないこの地は、相変わらず空も海も、どこもかしこも青が眩しい。
来るつもりなど無かった。
だがそれでも、いつものように雄弁に甘い口説き文句を並べる男の誘いを断ることも出来ずに、こうして今彼の隣に座っている。
もう何度目かもしれない溜め息は、むしろそんな自分自身に向けられたものだった。
-----ほだされている。
甚だ不本意ではあるが、それでもいつの間にか、無下にその誘いを断ることが出来ない程にこの男の存在を受け入れかけている自分がいることは確かだ。
「昨日までは珍しく雨が降ってたから、今日は晴れてよかったぜ」
そんななんでもないことも甘ったるい口調で言う男の横顔を、雲雀は盗み見るように流した視線で見つめた。
緩やかにカーブを切るハンドルに置かれた、男らしい骨ばった長い指の大きな手はどこか余裕さえ感じられる程で、実際、その運転ぶりは、フィレンツェから此処までの長い道のりを快適に感じさせる程だった。
おまけに車中には自分と男の二人しかいない。
とても、部下が同乗しなければ生きた心地がしなかった数年前と同じ人間がの運転しているとは思えず、俄かには信じ難いことだった。
顔を合わせ、誘われた車中に彼の姿しかないのを見てとった時には頑なに拒んだことが馬鹿馬鹿しく思える程だ。
勿論雲雀とて人並みに出来ないわけではないが、それでも普段は人任せで殆どハンドルを握ることのない自分よりも上手いのではないかと認めずにはいられない。
初春の風をいっぱいに開いた窓から受けて金髪を靡かせるその姿は驚く程に堂々として、大人の男の魅力に満ち溢れていた。
-----憎たらしい。
ネクタイこそ締めていないが、今日のディーノの出で立ちはあまり見慣れていない黒のスーツ姿で、普段のカジュアルな服装とは違うせいでまるで別人のようだった。
僅かに光沢のある上質な生地に随所に遊びを施した縫製のそれはノーブルになりすぎず、けれど決して派手でもなく、華やかな彼の顔立ちを程よく引き立ててよく似合っていた。
シャツは第二ボタンまで外されて、惜し気もなく青い血管が編み目のように透ける首元を晒している。
体質的に日に焼けることのない自分とは違う、混じり気のない肌の白さは、彼が異国の人間であることを思い出させるのに充分だった。
細身ながらも決して貧弱さを感じさせない厚い胸板など、まさにこの国の男のそれだ。
触れると感じる高い体温も、自分とは違う。
-----何を考えている。
まるで無意識の内に考えていたことを振り切るように、雲雀は向けていた視線を車窓の外へと移した。
だがよく磨かれたスモークシールドのガラスに映る自分の姿をそこに捉えると、再びその視線を泳がせてしまう。
らしからぬ表情は、まるで何かに飢えているかのようだった。
それが何かなど考えるまでも無い。
だからこそ今自分は此処にいて、そしてこの男の纏う甘い空気をどこかで心地よいと思っているのだ。
「なんだ?さっきからじっと見て。なんかついてるか?」
視線を感じたのか、横目でディーノがそう問いかける。
「別に」
だが素っ気無く返すと、「そうか」と穏やかな笑みを浮かべて一つ頷くだけで、また視線は前へと戻ってしまった。
それとも俺に見惚れてるのか?
以前なら決まって口にしていたそんな軽口さえきかないことに、どこか寂しささえ感じる自分をらしくないと思う。
そんならしくない自分に辟易しつつ、雲雀はディーノとは反対側の窓の外へと視線を向けながら、おもむろにその理由を口にした。
「あなたがそんな恰好してるなんて珍しいから見ていただけ」
「そうか?最近は割とこんな感じだぜ。人と会う機会が多いから、ロマーリオがちゃんとしろってうるさくてかなわねえ。堅苦しくて好きじゃねえんだけどな」
途端に破顔したその顔に、いつもと違う服を纏いながら、けれどいつもと変わらない口調にどこかで安堵する。
結局、絆されているのだろう。

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骸のことが忘れられず、それでも10年もの間自分の前に姿を見せない男に痺れを切らし、甘い言葉を吐き続けるディーノに絆されてとうとう一線を越えてしまうところに骸が現れて3P。
ディーノに絆されていたのも事実なんだけど、ディーノとヤろうとすればいい加減骸も出てくるだろうという雲雀の策略だったりとかそんなんだったりするお話でした。
それにしても何だって10年後ディーノはあんなにエロくさいんだろうか(笑)
あんなフェロモンだだ漏れのくせに、声だけやたら爽やかってのが許せません…ギャップ萌えってやつかっ!(笑)

 『dieci』

先日のリアルマフィアで無料配布した、骸ヒバ前提のディノヒバSSです。
10年後設定になります。
原作の未来編のちょっと前くらいでしょうか。
イタリアの真っ青な空と、真っ青なアドリア海と、そして豪奢なキャバッローネの屋敷を書きたくて書いたお話です。
ちなみに既刊「uno」以降、骸は雲雀の前には一度も姿を現していません。
10年もの長い間会わずして想い続けることなんて出来るのかと思われるかもしれませんが、実際ハタチ過ぎれば10年なんてあっと言う間なんですよね(笑)
それにしても、やたらディーノさんの美貌っぷりを描写してしまいました(笑)
雲雀も骸も容姿としてはすっきりめのイメージなので、ディーノさんの華やかさは書いていて楽しかったです。
勿論基本は骸ヒバなんですけど。
三つ巴はこれの続きになる予定です。

ちょっと長めになりますので、本文は以下をクリックして下さい。



昔の使いまわしですが、お祝いの気持ちを込めて。
やっぱり跡部様には麗しいお花がよく似合います。
まあ私の描く花ではゴミのようですが(笑)
何だろなあ、跡部っていまだに特別な存在な気がします。
長く話を書いていたせいか、忍跡の2人って殆ど自分のオリジナルみたいな感覚になっちゃってるんですよね。
昨日久々にお気に入りの忍跡本を読みなおしていたんですが、やっぱり忍跡っていいなあと改めて思いました。
うちの忍跡も本当にたくさんの方に読んで頂いて、本当に嬉しい限りです。
私の書いた忍跡も、こんなふうに時々読み返して頂けたら嬉しいなあと思います。

以下、SSです。
「meltdown」設定(高校生忍足×検事跡部)の番外編という感じで、付き合って割とすぐの頃のお話です。
夏コミで配布した番外編よりも、もう少し前のイメージかなと。
久々に突発で打ってみましたが、さすがに1時間ちょいの時間ではこれが限界。
というか、久しくまともに文章を打てていない私にはスバラシイ快挙かもしれません(笑)




【「meltdown」番外編】


「参考書?」
「ん、欲しいのがあるんやけど、学校の近くの本屋に置いてなくって。ちょっと本屋行ってもええ?」
「別に、そんなこといちいち聞かなくてもいいだろ。時間あるんだし構わねえよ」
金曜の夕方、いつもの通りツタヤの前で待ち合わせをして、そうして向かった先は、いつもの店とは違う、裏通りにある品揃えの豊富な本屋だった。
会社帰りのサラリーマンやOL、それに学校帰りの学生達と、たくさんの人で溢れる店内は、ひといきれで息が詰まりそうになる。
人ごみは嫌いだ。
欲しい本があるなら、インターネットで探した方がよっぽど早いし確実だと思う。
それなのに、
『せやけど、自分の足で歩いて探して見つけた物の方が、手に入れた時の嬉しさが違う気がせえへん?』
いつだったか言われたそんな言葉が忘れられず、文句一つ言わずにこんなところまでついてきているのだから、どこまでも自分はこの男に弱いらしい。
「4階かと思ったら、3階やったみたいや」
ごめんな。
そう言ってエスカレーターを降りる忍足の後に続きながら、ふと、何とはなしに眼下の後頭部を見下ろしているうちに、指通りのよさそうなすんなりと落ちる黒髪の真ん中、僅かに左寄りに存在するつむじに、自分がこんなふうに忍足を見下ろすことなど殆ど無かったのだと気付く。
目線が僅かに違う程の身長差だけでなく、思い起こせば常に自分が前にいることの方が多かった。
いつだってこの男は半歩下がった後ろの、気配を感じ取れる距離にいてくれるのだ。
それを心地よいと感じるだけでなく、当たり前と思うくらい、いつの間にか自分の中の深いところにまでこの男は入り込んでいた。
そうして自分もまた、そんな男の存在を手放したくないと思っている。
いい歳をして十も年下の男に甘えているなど、少し前の自分には考えられなかったことだ。
だがそれでも、甘えずにはいられない甘さがこの男にはあるのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていたからだろうか。
「跡部?」
「…っ!」
気配にも気付けず、不意打ちのように振り向いた顔の近さに思わず跡部は息を飲んだ。
だが次の瞬間には、僅かに見上げるような視線のやわらかさに縛られて、そうしてぶわりと込み上げた衝動のまま、手摺りに置かれた腕を掴んで足を踏み出していた。
「ちょっ、跡部?!」
突然の行動に、驚愕した忍足の声が背後から聞こえるも、それを無視してただひたすらに下階を目指してエスカレーターを駆け下りていく。
目的の3階ももうとっくに通り過ぎた。
そうして1階まで漸く降りると、人ごみを縫うように店の外へと一気に飛び出た。
途端に雪崩れ込むようにして耳に入り込む喧騒に、気付けばますます足が早くなっていた。
こんな喧騒の無い場所で、早く2人になりたくて仕方が無かったのだ。
僅かに首を捻って背後を振り返れば、掴まれた腕を引かれてつんのめりそうになりながら、それでも前を走る自分に合わせて走り続ける忍足の姿が目に入る。
その目を見るだけでもう駄目だ。
掴んだ手首の体温の高さにさえも----------欲情する。
目立つ制服とスーツ姿の男2人が走る姿に容赦なく向けられる好奇の視線を黙殺しつつ、人で溢れるセンター街を抜けて、真っ直ぐに駅を目指した。
スクランブル交差点の赤信号を待つのさえもどかしい。
早く、もっとこの体温に触れたいと思う。
だから、
「早くお前に触りたい」
唇を寄せて耳元でそんな言葉を囁くことさえ、何の躊躇いも無かった。
「っ!」
息を乱しながら、弾かれたように視線を向けるその顔が何処か子供っぽいことさえ堪らない。
昨日よりも今日。
今日よりも明日。
安易な言葉だと思いながらも、そうやって日ごと募る気持ちに際限は無いのかもしれない。
----------溺れているのだ。
それもどうしようもないほどに。
「参考書はまた今度一緒に探してやる。飯もまた今度だ」
睨みつけるようにいつまでも変わらない前方の赤信号を見詰めながら、隣にいる忍足にだけ聞こえるように、だから、と続ける。
そうして、
「今日は俺にしておけ」
囁くような声で、そう言った。





お粗末さまでした。
夏コミ配布の番外編といい、跡部の方がすごく忍足を好きなような感じですが、この設定だと10コも年上なので、それくらいガンガン攻めてもいいかなと思います。
そんでもってちょっと忍足がへたれっぽいですが、やっぱりそこは歳の差ってことで。
でもベッドの上ではこっちもガンガン攻めてくれるといいななんて(笑)
ちなみにこれは、前にネズミの国に行った帰り、身長差のある怪しげな若い男2人連れのエスカレーターの立ち位置を見て思いついたネタだったりします(笑)

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