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cql忘羨SS



「花蘇芳」
藍忘機は雄弁な男だ。

口にする言葉こそ少ないが、その目は幾多の感情を表し、大きく隆起した喉仏は清廉で寡欲な容貌に反して秘めた欲情を露わにする。

宿雨の昼下がり。
しとしとと降り続く雨の音と共に静室に響く琴の音は変わらずとも、先程から横顔に感じる射るような視線は熱を帯びていく一方だ。
そうして視界の端に映る彼の喉仏が上下に隆起するのを見る度に、得も言われぬ緊張感が怖気のように全身を這い上がっていくのが分かる。

『……落ち着かない』

一盞茶時、窓辺の牀榻に腰掛けた魏無羨は、手の中の書物の同じ頁を開いたまま一文字も先に進むことが出来ずにいた。
先程まで読んでいた内容も、もう既に覚えていない。
紙を捲る音が無くなり、今も変わらずに続いているのは雨の音と琴の音。

そして、自分を見つめる男の視線。

雄弁過ぎるその視線の熱が、言葉にならない強い何かを訴えかけているようだった。

『……藍湛、何故そんなに俺を見る』

何を言いたいのか問い質したい衝動に駆られるものの、しかしその強過ぎる視線の意味を知ってはいけないような気もしてどうしてか聞くことが出来ない。
魏無羨自身、知りたいような知りたくないような、如何ともし難い複雑な感情を拭えずにいた。

この静室で居を共にするようになってから一年余り。
ここのところやけに熱を孕んだ視線を感じることが多くなった。

『……っ』

ふと、視線を受けている左の頬に引き攣れるような痛みを感じた。
否、錯覚だろう。
しかしまるで皮膚が焼けてしまいそうなほどの熱がそれにはあった。
焦げ付くような、針で刺すような、鋭い痛みすら感じるほどの強さだ。

決して逸らされることのないその視線は一体何を意味しているのだろうか。
否、本当は分かっているのかもしれない。
だがしかし、そうだと認めるにはにわかに信じ難く、認めてはいけないもののように感じるのだ。

いっそ五識を閉じてしまいたい。
だがあまりに強すぎる視線にそれも敵わず、いつの間にか魏無羨は藍忘機のことしか考えられなくなっていた。

耳に入る琴の音からまず浮かぶのはその指先だ。
弦をつま弾く指はすらりとして長い。
節ばった長い指は決して細いわけではなく、剣をも振るう手は玉のように白く透き通って美しいが、魏無羨の手を包み込んでしまえるほどに大きく雄々しくもある。

冷え冷えとした怜悧な容貌のままにその手は冷たく、しかし時に驚くほどの熱をも孕むことを知っている。
そうしてその手に触れられることが心地よいことも、魏無羨は知っていた。

他人に触れることを厭っていた藍忘機が至極当たり前のように自分に触れるようになったのはいつからだろうか。
蘇る前の記憶は時々曖昧で定かではないが、大梵山で再会したあの時から既にそれは始まっていたのかもしれない。
あの頃はまだ必要に応じてだったが今は違う。
時折、何とはなしに触れてくることがあるのだ。

意図してなのか偶然なのかは分からない。
それは手であったり頬であったり。
時には髪に触れることもある。
肌と肌が触れることも勿論そうだが、生涯切ることのない髪に触れられるのは特別な意味があるように思えて仕方がない。
揶揄かうように、じゃれ合うように魏無羨が自ら触れるのとは違う藍忘機からの触れ合いは、どうしてか嬉しくもあり気恥ずかしくもあった。

そんな指先の次に浮かぶのは、白磁の如く透き通り、すらりとしていながらもしっかりとした太い首に浮かぶ喉仏だ。
くっきりと隆起した大きな喉仏は時に直視することすら憚れるほどの欲を露わにし、そうして魏無羨自身もまた、その隆起を見るだけでひどく欲情した。

少ない言葉を発する時。
物を食す時。
そして、こうして自分を見つめる時。

藍忘機の大きく上下する喉仏を見るだけで、つま先から痺れるような緊張と形容し難い感情が込み上げてくるのだ。
それは燃え上がる焔のような熱でもあり、凍てつく氷のような冷たさでもある。

ふとした瞬間に涼やかで美しいこの男にも欲があるのだと感じてから、やけにそこに目がいくようになってしまった。
同じ男なのだから欲があっても不思議ではない。
だが藍忘機は高潔が衣を着て歩いているような男だ。 
仙の域と称されるほどに清廉で寡欲な様は俗世とは一切無縁のように見える。
そんな男が腹の底から何かを欲することがあるのだろうか。

しかしそれでも、間違いなくこの男にも欲があるのだと思う。
普段気にも留めないそれが動くさまはひどく生生しく、男だと感じる瞬間だ。

そんな藍忘機の喉仏を見ると、時折疼くような衝動が込み上げてくるのだ。
自分では抑えきれないほどの情欲を感じるのは、魏無羨自身、初めてのことだった。
奔放で多欲に見えて、その実決して欲が強い方ではない。
それ故、戸惑いを隠しきれなかった。

『……まただ』

一音の乱れもなく奏でられる琴の調べはそのままに、けれどその視線は自分に向けられたまま、また一つ藍忘機の喉仏が大きく上下した。

視界の端に映るそれにひどく喉が渇き、知らず知らず魏無羨の喉仏も上下する。
と同時に、得も言われぬ衝動に突き動かされるように胸の前で組んでいた左手をゆっくりと上げた。
食い入るように見つめる藍忘機の視線が己の指先に注がれるのが分かる。

窓の外の灰青の空に映える花蘇芳の白い花を眺めながら、魏無羨は知らず知らず親指の腹で乾いた唇をなぞっていた。
あわいから思わず溢れた吐息で湿った指先が唇を微かに潤す。

『藍湛……』

込み上げる言葉にし難い感情をどうすることも出来ず、魏無羨はただ胸の内でその名を呼ぶことしか出来なかった。

見やった視線の先で濡れた花蘇芳の花弁がひとひら、降りしきる雨の雫に纏うようにはらはらと舞い落ちていく。
それがひどく扇情的に目に映った。

真っ直ぐに地面に落ちる雫。
一処に定まらず踊るように落ちる花弁。

そして降り続く雨。


いつしか琴の音は止まっていた。

ゆっくりと視線が重なる。
濡れたような眼差しの先で、また一つ、藍忘機の喉仏が上下に隆起した。
音までも聞こえきそうなその動きに呼応するように、魏無羨も堪らずに喉を鳴らす。

息すらも出来ないほどの張り詰めた緊張に、心臓が大きく脈打つ。
次第に大きくなる鼓動が耳の奥で木霊しているようだ。
重なる視線は絡み合った糸のように解ける気配もない。

視界の端でまたひとひら、白い花弁が舞い落ちていく。

そうして、

「……藍湛」

焦がれるように、魏無羨はその名を呼んだ。







pixivにも投稿していますがこちらでも。

50話以降のcql忘羨。
互いに意識しながらまだ何もない知己です。
何もないけどもうすぐ何かあるかもしれない知己。
雨の日に何となく浮かんだ雰囲気SSです。

藍湛の気持ちに全く気付いていない魏嬰も良いですが、何となく気付いてその意味を考えて悶々としている魏嬰も良いです。
焦れったいくらいがちょうど良い。
cql知己忘羨ですが、2次元ではないのであまり性的な表現をすると羞恥心に駆られていたたまれなくなります。
手や指も好きですが、初めて喉仏に惚れました。
口数は少ないですが表情や所作が雄弁なcql藍湛が好きです。
因みに花蘇芳の花言葉はいろいろありますがこのお話では目覚め。
藍湛への恋情の目覚めということで。
魏嬰の物憂げな表情は大梵山後の目覚めた時のあの顔で。
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